ロマンチックでない桜の思い出

kirinohana

-
東京でも桜が徐々に満開に近付いています。

毎年毎年、お花見に行きたいなぁ~と思いつつも、

行く機会を逃すことが多い私。

何せ花が咲いている時期が短く、

それに合わせて休みを取るというのも

サービス業ゆえ難しいものがあります。

通勤途中にも桜並木があるのですが、

歩いているだけでぼおっと見とれてしまい、

それだけで満足している部分があることも

お花見から足を遠ざけている理由の一つかもしれません。

あとは、夫が花粉症でなければ…。



桜でいつも思い出すのは、小学生の頃のことです。

当時通っていた学校では

毎年「お花見遠足」という行事がありました。

学校から1時間~1時間半くらい歩いたところの

公園に遠足に行くのですが、

現地には先に親が待機しており、

子供たちが到着したら

それぞれの家族でお弁当を食べたりしてお花見を楽しむ、という

なんともほのぼのとした行事でした。


が、それがいい思い出だけとは限りません。


あれは忘れもしない、小学2年生のときの遠足。

その日の朝、私は母に公園に到着予定時間を伝え、

「遅れないでね」と念を押して家を出ました。


遠足は無事に終わり、校長先生の話等の後で親と合流し、

担任の先生が親が来ていることを

確認するために点呼を取っていました。

当時、他の小学校や幼稚園生も

たくさんお花見に来ていたため、

公園はカオス状態。

そんな中で自分の親を見つけて歓声を上げる子や

逆に大声で子供の名を呼びかける親など

とてもにぎやかでした。


次々と周りの子が親と合流して去っていく中、

私は母の姿を見つけられずに、辺りをキョロキョロしていました。

最初は人混みの中迷っているだけだと

思っていましたが、待てども待てども母は現れません。

人が散らばって広場が寂しくなっていく中、

私は次第に悲しさと怒りが込み上げてきました。


そのうちに、クラスの中で点呼を取っていないのが

とうとう私だけに。

担任の先生や周りにまだ残っていた子たちが

「お母さん来ないの?」「どうしちゃったんだろうね」と心配する中、

私はただ黙って待つより仕方ありませんでした。


どのくらい待ったか分かりませんが、

向こうの方から息せき切って駆けてくる

母の姿が見えたときは、

ホッとするというよりも呆れかえっていた気がします。

平謝りする母と、「よかったねぇ」と安堵の表情を浮かべる

先生や周りの子たちの中で、

私一人が不機嫌状態でした。


ようやく点呼を終えて母と2人きりになったとき、

「なんで、遅れたの?」と怒りを抑えながら

聞きました。

「弁当作ってたら、遅くなっちゃって…ごめんね。

いっぱい作りすぎたかも」

と申し訳なさそうに話す母の手には、三段重のお弁当。


これがもしドラマだったら母の愛に感動して…

となるかもしれませんが、現実はそうはいきません。

母は私のためと言うより、

母親としての仕事をまっとうした、という事実が欲しいだけ。

当時の私にはそれが分かっていたため、

母への怒りは解けず、桜の下でぼそぼそと弁当を食べながらも

ずっと口を利きませんでした。

今思えば私も子供じみていましたが。



あの苦々しい桜の思い出をリセットするためにも、

本当はもっと楽しいお花見をしたいのですが…

今年は無理でも、来年こそは行けるといいなぁ。










関連記事
Posted bykirinohana